本日はデジタル魚拓の起源である本来の魚拓の
そのまた起源について少し堀り下げたいと思います( `―´)ノ
魚拓は庄内藩が発祥とされ、日本で現存最古のものは
天保10年(1839年)9代藩主酒井忠発が釣り上げた鮒を
魚拓にしたのであるとされ、現在は鶴岡市郷土資料館に所蔵されている。
庄内藩では、あれこれ戦略を立てながら釣り糸をたらし、
心を張り詰めながらも静かに獲物を待ち、
荒海の中から一気に大きな魚を釣り上げるのは、
武士の道に通じ、鍛錬にはもってこいであったことから
日常的に釣りが行われていた。
そして、大きな獲物は、「討ち取った敵将の首」に見立てられ、
魚拓にして藩主に献上された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』
魚釣りは我慢のスポーツだと思っていましたが・・・
まさか、起源が鍛錬の為だったとは
「釣りに行ってくる」じゃなくて
「鍛錬に行ってくる」だったのですね!!
皆さん、鍛錬してますね!(笑)
本来の魚拓は、大きさを記録するため
という意味合いでしたが、いつしか飾られるようになり
飾られるならもっと見栄えよくと様々な手法が用いられるようになり、
今や芸術と言われる域にまで達しています。
釣り人たるもの、一度はこれを魚拓に残したい!!
と思われたことがあるのではないでしょうか?
そこで、魚拓の取り方を簡単にご説明すると
これが、一般的な直接法と呼ばれる方法です。
言葉にするとたった6つの項目ですが、
やってみると、その中に沢山の難関が潜んでいるとこを
思い知る、奥が深い魚拓の世界。。
当社のお客様からも
以前、魚拓をやってみたがうまくいかなかったとか
魚拓をとってみたいけど、難しそうでやったことがない
というお話をよく聞きます。
魚拓もまた、釣りと同じように鍛錬が必要なようです。
私共も、本物の魚拓もよく目にしますが、
本物にはやはり、「凄み」を感じます。
デジタル魚拓の制作者として
魚拓を取りたいと思っているお客様の
ご希望に添えるよう、本物に少しでも近づけるよう
我々もまた、鍛錬の日々を過ごしていきたいと思います(^^)
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